感動エピソード

誰も救えなかった私の病気を1人のバレーボール選手が治してくれた話

現在27歳の女性、サナです。今は結婚して海外に在住しています。

私には現在の主人とは全く別で心の中で一生好きな人がいます。それは浮気や不倫の恋愛感情とは全く違う好きです。好きというより一生感謝する人になるかもしれません。

その人は現在の全日本男子バレーの主将を務める清水邦広選手です。

私は小学生から高校生までバレーボールをしていて全日本に召集されるのが夢でした。しかし高校でアキレス腱断裂に遭い、競技人生から去りました。そんな私は8年前に社会人デビューを果たしました。専門学校ではLIVEなどの照明の勉強をしていました。

社会人として男社会で働きはじめた

そして今でもこの照明や音響などに現場は男社会の体力勝負の世界です。そんな世界で卒業後に私はとある有名な某企業に入社し舞台照明スタッフとして勤務がスタートしました。

初めての1人暮らしで地元を遠く離れての社会人生活でした。この企業も男社会の現場で職人気質が多く熱い体育会系でした。社会人1年目は まだ1期上の先輩に隠れてあまり怒られることがなく下っ端の掃除仕事から始まりました。

「ほうきの履き方を知らないのか??」と叱られるレベルからのスタートで仕事という仕事をあまりさせて貰えずに、仕事ってこんなもんなんだ。掃除さえしてればいいんだ。と舐めていたクソガキでした。

後輩ができても全く進歩しない自分への自己嫌悪

そんなんで1年が過ぎ2年目に後輩が入社してきて今まで自分たちがしていた下っ端の掃除仕事などを後輩に譲り自分たちは仕事が始まりました。

この1年間他の先輩の動きをどれだけ見ていたのかが試される時期で他の同期は動けるのに私は全くでした。そんな日々でも仕事は進み残業中に一体いまみんなは何をしているのか。私は何をしたらいいのかが全くわからずに他の皆が動き回って走り回る中でわたしはただただ立ち尽くしていました。

そんな私にもちろん先輩の怒りが飛んできます。舞台上で胸ぐらを捕まれ「ふざけてるのかお前?」と怒鳴られました。こんな言葉が常に飛び交う現場で何度何度精神的においつめられたか。

そんな日々の中で10月になり上から2番目の役職の方と仕事をする機会がありました。その人は他の上司と比べると仕事はあまり優秀ではありませんでした。

しかし言葉がきつく今でも理不尽だ。と思うような方でした。そしてそんな日々で予想通り何度も何度も虐げられ侮辱されている毎日で私は自然と自分の爪を腕に食い込ませるような動作を無意識で始めていました。

無意識から始まった自傷行為と精神の病

悔しい気持ちをぶつけているんだ。ぐらいに考えていました。そして、年が明け変わらない暴言の現場でした。ある日残業が夜中の1時半すぎに終わり帰宅しベットの上につくと何故だか不安にかられ涙が止まらず剃刀で自分の腕を切りつけていました。

そして次の日出勤すると過呼吸が起き気絶し救急に運ばれました。

目をさますとそこには父が立っていていました。会社から連絡が入りむかえにきてくれたのです。そこから実家に有給を使い滞在して気持ちを切り替えてまた会社に復帰しました。

しかし、不安は収まらずにそこから自傷行為の日々でした。病院ではうつ病重度のパニック症候群と診断されそれでも退職せずに勤務を続けました。

ある日テレビで見た男子バレーのワールドカップ戦

そんな毎日絶望の日々の中、ふとテレビをつけると全日本男子バレーのワールドカップが放送されていました。

私は全日本女子が大好きで竹下佳江選手、栗原恵選手、木村沙織選手が大好きでした。男子バレーは全く興味はありませんでした。試合を普通に見ているとそこで始めて全日本に召集されたばかりの若かりし清水邦広選手がいました。

相手はイランだったと思うのですが、高いイランのブロックに果敢に恐れずにスパイクを打ち続ける彼のプレイに惹かれてテレビにかじりついていました。結果は、ストレートで負けたのですが清水邦広選手のプレイに心が躍り翌日会社で同期に清水邦広選手の話をしていると「なんか以前みたいにイキイキしてるね顔が。笑ってるやん」と言われ周りからも少し明るくなってきたね。前みたいに笑うようになってきたねとその試合を境に言われるようになってきました。

それから毎日試合で彼を応援し、彼の所属するPanasonicの試合も応援に行きました。生で見る清水邦広選手のプレイにもはやテンションも最高潮でかっこよく、力強いプレイにメロメロでした。

そんな彼に試合後に手紙を直接渡そうと思い退場口のいい場所にスタンバイしていると全日本の影響で清水選手の人気は凄まじくサインや握手を求められ全く進めずにいて打ち切りファンの声も無視して退場しようと私の前までやってきました。

すると一緒に来ていた同期が馬鹿でかい声で「清水選手ーーー」と叫びその声に気づき私の前で止まってくれました。

そして同期に背中を押され私の手紙に気づくと「その手紙は俺に?」と聞かれ「はい。思いの丈を6枚の便箋に詰め込みました。」「多いなwwありがとう」と笑顔で答えて私の手紙を受け取りそのまま退場していったのです。

え?夢でしょ?

という流れでした。そして翌週も試合に応援にやってきて今回は手紙はやめ手ぶらでやってきました。そして私の影響で、全日本で同じ清水選手とチームに所属する福澤選手に惚れた同期はサインを貰うんだと意気込みもし自分でもらえずに私がもらえた時のために私にも色紙を持たせていました。

試合後にものすごい数のファンがいっきに退場口に向かい同期と逸れてしまい、近くにあった非常口に向かっていると人とぶつかり「あ、すみません」と私がいい見上げると清水選手でした。

「えーーーーーーーー」と内心なりあたふたしていると「ごめんね。」と笑顔で答える清水選手をみて、とっさに出た言葉が「サインください。」でした。

いきなりのサインを求められしかもファンレターもなしの端から見たらミーハーなファンです。ですが「いいよ」と笑顔でサインしてくれました。

サイン中の清水選手に人生一大の勇気を振り絞り

清水選手の以前のWorld Cupでのイラン戦のプレイが私を変えてくれました。本当にありがとうございました

と告げるとサインを私に渡してくれた時に

「負けた試合で恥ずかしいのにありがとう。次は絶対に勝つから男子バレー応援よろしくね。名前は?」

と聞かれたので「〇〇です」と伝えるとサイン色紙になんと、私の名前を入れてメッセージで

次は勝つ。

と入れてくれてそのまま退場されていきました。も感動なんて言葉ではありません。

優しい人柄に誠実な笑顔。
バレーボールに対する熱い愛。
ファンへの笑顔。
彼の全てが私は大好きです。

その試合後から私は精神科で処方された薬を飲まなくても発作が起きないようになっていき病気を克服し今に至ります。

きっとあの日偶然テレビでイラン戦を見ていなかったら。

清水邦広選手を知らなければ。

私は今も病気と闘い現在の未来はなかったかもしれません。

彼は私を救ってくれた大袈裟かもしれませんがヒーローです。 そんな私に出来ることは男子バレーをもっと世間に浸透させて女子だけじゃなく男子バレーにもピンスポットが当たるようにみんなに広めていくことかなと思っています。